最新ニュース、芸能、ネットの話題をまとめ読み

 

嵐・相葉雅紀『貴族探偵』初の“前後編”で不安も……? 「よくできた謎解き」の条件とは何か

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

 さて、視聴率が低調にもかかわらずサイゾーにあるまじき絶賛コラムを書き続けてきた嵐・相葉雅紀主演の月9『貴族探偵』(フジテレビ系)ですが、第5話となった今回ばかりは手放しで賞賛するわけにはいきません。

なぜなら、これまでは単話完結で謎解きまでキッチリ見せてくれたので「お見事や! 超絶技巧や!」とウキウキで筆を走らせることができましたが、今回の第5話は、第6話と前後編の2話構成になっていて、まだ謎が解かれていないからです。5話では死体が3つ、密室の中に転がっているところまでしか描かれておらず、果たしてこれまでのように「お見事」な謎解きが見られるかどうかは、来週を待たなければなりません。

私は、このドラマの見どころを「謎解き」の一点突破だと思っていて、その「謎解き」がよくできているからこそ「なんかガチャついた演出とか相葉ちゃんのキャラも楽しくていいね」と思えるタイプの視聴者なので、謎が解かれていない今回は「相変わらず楽しくていいね」くらいの評価しかできないのです。もちろん、これまでの4話で、ある程度このドラマのスタッフを信頼しているので、次回にも期待はしていますが、正直、不安もないわけではないです。

では、「謎解きがよくできている」とは、どういうことなのか。今回はそんなことを考えてみたいと思います。

原作を読んでしまっているので、どうしても既読者の立場からしか話ができないのですが、今回の原典は『貴族探偵』(集英社文庫)に収録されている「春の声」という短編から引用されています。金持ちの爺さんが身寄りのない孫娘に婿を取ろうと、3人の婿候補を家に呼びつけるという設定です。で、その3人が離れの密室の中で死んでいて、「誰がどうやって殺したんだ」状態に。その真相を、貴族探偵が突き止めるわけです。

この「春の声」も、実に謎解きがよくできた話だと感じました。

まず、現場が密室であることが語られると、読者は「犯人が犯行後に密室を作ったのでは?」と疑います。これは、数多くのミステリー小説に触れてきたわけではない私たちのような一般読者でも、『コナン』とか『古畑』とかちょっとでも見てれば、そうなるところでしょう。

しかし、3人の死体を見てみると、それぞれどこか違和感がある。どうやら「ただ殺されたわけじゃない」っぽい感じだ。ここで作者は、3人の死体や現場の状況について、与えうる限りの情報を、登場人物を通じて読者に与えます。

そして読者は、あらゆる情報を提供されると、結果として「じゃあ誰も殺せないじゃん」と当惑することになります。密室だし、3人とも死んでるし、犯人がいないじゃないか、と。

しかし、私たち読者は、あらゆる情報を提供されたと思い込んでいるだけで、実は提供されていない情報や、読者が勝手に誤解している状況があります。それを作者が、探偵を通じて「ここが実はこうで、だからこれが真相です」と推理するわけです。その推理に納得できれば「よくできた謎解き」だし、納得できなければ「できの悪い謎解き」というわけです。

つまり、よくできた謎解きの条件は、第1にまず、読者が「すべての情報を与えられたのに真相がわからない」と思えるかどうかということになります。推理が始まる前に「なんかちょっと、あそこらへん説明不足なんじゃない?」という消化不良や、「なんか、あの死に方って普通に考えておかしくない?」という違和感が残れば、仮に推理として筋が通っていてもモヤモヤが残ることになります。

そして第2に、推理が「ここが実はこうだったのだ」と述べたときに、それを素直に「気付かなかった!」と驚けるかどうか。ヒントや伏線もなく、いきなり新情報がブッ込まれれば「わかるわけねーだろ!」となるし、あえて状況説明を曖昧にしていた(と読者が感じていた)付近に真相があれば「わざと説明してなかったじゃねーか卑怯だぞ!」となる。

事件の構造を組み立て、矛盾を潰し、情報の出し入れをコントロールするという極めて理知的でロジカルな作業をしながら、最終的に働きかけるのが「これなら納得できるでしょ」という読者の感覚的な部分だったりするところが、たぶん本格ミステリーと呼ばれるジャンルの面白さなんだと思うんです。麻耶雄嵩さんの小説というのは、その読者の感覚を「ロジカルに納得(=快感)に導く」ことに特化し、そこだけに全精力が注がれているように見える。だから、好みの問題はあれど「謎解きがよくできてる」ことだけは疑いようがないんです。

で、第5話。そうして精緻に組み上げた麻耶さんの「春の声」を、またまたフジテレビは大胆に脚色してきました。原作では3人だった婿候補を1人増やし、そこに忍成修吾というアクの強すぎる(ホメてます)役者を配置して、血を吐かせて生きたままダイイングメッセージを書かせるなど派手な立ち回りをさせた挙句、とりあえず放置している。

孫娘と幼なじみの青年執事を登場させ、現場となった密室への行き来に含みを持たせるとともに、婿候補を殺す動機を抱かせて、重要な容疑者候補に仕立て上げている。彼が左脚を引きずっているのも、カイザー・ソゼ世代である私たちの予断を誘います。

原作では完全な密室だった現場も、内側からチェーンがかかっているが、30センチくらい扉が開く、という少しゆるい密室になっています。

先ほどの例でいうところの「第1の条件」で、これだけの改変が行われている。第6話は、視聴者を「すべての情報を与えられたのに真相がわからない」と思わせる段階から始まります。まず、これを成功させることができるのか。

そして、女探偵が「ここが実はこうだったのだ」「これなら納得できるでしょ」と推理し、その推理に視聴者が納得したうえで、今度は貴族探偵が「それは違う」「ここが実はこうだったのだ」「これなら納得できるでしょ」に至ることになるわけです。そんな難しいこと、本当にできるのか。

別に原作通り作ったって面白いだろうに、こうした複雑なシナリオの改編・拡張を、オリジナルで構築することを、フジテレビの現場の人たちは選んだんです。実に誇り高き創作行為だと思いますよ。もはや、失敗してもいいよ、という気分にさえなってきました。

視聴率もますます下がってますし、なんか『新・週刊フジテレビ批評』(同)で、身内からよくわかんない批判を食らったりしていたみたいですが、そういうのの対応みたいな雑事は、まあプロデューサーとか偉い人に任せておけばいいんじゃないっすかね。面白いドラマを作るという目的の前では、そんなのは塵芥にすぎませんよ。(文=どらまっ子AKIちゃん)

外部リンク(日刊サイゾー)

Yomerumoをフォローする

Yomerumoから人気記事をお知らせします!

Twitter

芸能ネタ最新記事

記事一覧

注目ニュース

> もっと見る


掲載情報の著作権はニュース提供元企業等またはGMOアドマーケティング株式会社に帰属します。記事の無断転用を禁じます。
すべての人にインターネット
関連サービス